標準治療 2017/12/21

橋本さんのことを思い出したので、「がんと共に生きる会」のホームページを見て驚きました。

今も尚、標準治療一辺倒を推進していることに驚きました。

まるで時が止まっているように感じました。

 

なるほど、20年近く前、厚生労働省でがんの均霑化を目指しましょう、とその時にいたものとして20年近く経った今も標準治療について言っていることに違和感を持ちました。

 

標準治療ががんの核となることについては反対ではありません。

私が歩んだ道は、初めは標準治療を目指しましょう、だったと思いますが、実際に助かっている人たちはそれからは外れている人たちだと思います。それに頼っていたのでは、助かるものも助からないでしょう。。。助かる人もいますね。。。

 

標準治療はエビデンスに基づいています。それを標準治療と言うのだと思います。

エビデンスはいわゆるデータだと言うことですね?

それは、この薬を使えば何人の人が助かり、また、何人かの人は亡くなる人もいる、と言うのがデータに根ざしたエビデンスでしょ?

効果が無く亡くなる人もいれば、薬そのものがその人に合わなくて亡くなったりすると言うことのように思います。

私が思ったのは、エビデンスがそういうものであるなら、エビデンスで亡くなる人も救うようにする、と言うのが本来の医療だと思います。亡くなるのは仕方ないことなのだ。。。と言う開き直りのような考え方は止めていただきたいと思っています。

(人間は本来亡くなる動物ではありますが。。。)

 

エビデンスは海外の人体実験のようなもので導き出された数字でしょ?

私も初めは、だったら日本人のデータが必要なのではないかと長いこと思って来ました。

海外の人と、日本人は遺伝子の部分で違うのでデータそのものも合わない、だから日本でも治験をしなくてはならない、というような考え方が一般的だったように思います。

でも、よくよく考えたら、例え日本人で初めからそのようなデータによるエビデンスを持ったとしても、亡くなる人は無くせないんですよね。。。?エビデンスそのものの考え方がそうだからです。

だったら、もともとあるエビデンスの上に合わない反応をした人を救うためにはどうしたらよいのか?と考えた方が理にかなうように思います。

その方が事故は無くせるでしょ?

いつだって、医療は100%ではない。分からないところでやっているでしょ?

手術そのもので亡くなる人もいるわけですから。

 

薬はエビデンスのその先を目指して頂きたいと思います。

それは現場の医師に委ねられるように思います。

製薬会社の一言で救われる人は出てくるように思います。

この薬を使って著しく副作用がひどく、命の危険にさらされる場合は適宜、量の加減をする、とか何とかそれで十分通じるように思います。(これは医療現場では当然のように思いましたが、そうではない扱いの医師もいると言うことですよね?)

化学療法で死ぬかも。。。と思った体験をしたから言えることだと思っています。

でも、こうして生きていますけど。

 

抗がん剤減量療法を行っている医師がいらっしゃいます。

標準で痛めつけられた患者を引き受けて、その方が生き延びている現実があるようです。

この事実を何と考えるのか?

抗がん剤の使い方をぜひ考えて頂きたいと思います。

 

医師は製薬会社には弱い?

だったら製薬会社に、たよるしかない?

(先日の製薬会社のアンケートではエビデンスの先を目指してください。と書きました)

 

医療分野では製薬会社と医師は対等でなくてはならないように思います。

そでの下が通らないようにと思います。。。例え通ったとしても患者にその代償を払わせるようでは、どうなんですか???

もらったとしても。。。医師は医師であればよい?とか。(失礼いたしました)

海外の製薬会社は日本社会を袖の下が通る社会だと認識しているところがあるように感じます。

(過去に何度か製薬会社等の勉強会や講演会などに参加したことがあります。あれ???と感じたことも。

読売新聞系の方が丁重に扱われている感覚も味わいました。その当時はそれが何故なのかよくわかりませんでした)

 

一度、それを味わうと修正するのは大変やね~。。。と言うわけで医師もまた自律自立して下さいませ~。。。

 

 

 

 

こちらに書いたことは、私の個人的体験に基づいて書かれてあります。

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文責:古山惠子