乳がんモデルをつかった自己検診 2019/12/26 追加記載2020年4月6日

せっかく書いたのにまた消された。。。

それほど、まずいものなんですか。。。

歴史を知る上では大切なことだと思います。

私はそれでも、もっと真実を知りたいと思っています。

 

何故って先生がバカだから。。。何故、もっと自分がやってしまったことを追求しないんですか?

被曝なんて日本が被曝をしたことを手にして弱者の論理を掲げて脅しをやっているにすぎないと思っています。

私は日本をそのような卑怯な国にしたくないと思っています。

 

私は被爆と言う経験をしたから、アメリカは黙れ、と言っているに過ぎないでしょ?

もしかしたら、乳がんの被曝は本当かもしれないですが、嘘かもしれないです。

もっと、先生はおバカだと思います。

 

あの被曝の危険性を訴えてきた論理のメールは、とてもあやしいと思っています。

これはTeddyでのあきさんやリスミンさんに聞いてみたことです。

誰もそのようなものには関わるな。。。と言う意見でした。

堤先生にも聞いていますが、あの論理を超えるものではなかったと思っています。

 

福田先生は自分の利益だけを考えてはならない。

地球上のみんなにとどく科学的知見を考えなくてはならないと思っています。

それでなければ、ただの詐欺師です。

 

 

 

乳がんの範囲は乳腺の範囲です。

乳腺は、バストのアンダーライン(ブラジャーの下線の辺り)から鎖骨下(首の下)までを指すようです。

マンモは両方の乳房を挟んで検査します

それ以外は撮影できないので、自己触診の場合は乳房以外(脇とか)もきちんと触ったほうがいいです。

女性の身体は、生理があるうちは乳房もそれに伴い、大きさが変化します。

触る時期は生理が始まってから1週間後ぐらいが理想です。

(生理が終わるころだと思いますが、期間は人によっていろいろだと思うので)

その頃が乳房が一番、小さくなるように思います。そうすると、腫瘤(しこり)と感じられるものが分かりやすいということのようです。

生理がない人は、月1とか自分の誕生日の日を選ぶとか、で触る習慣をつけるといいと思います。

 

 

次にリレーフォーライフにおいて乳がんの早期発見早期治療に導くための啓発をやっています。

早稲田大学の所沢キャンパスの外でやっています。これは、芦屋のリレーフォーライフのサテライトと言う位置づけでした。

関西にはいけない人に関東でやったと言うことだと思います。

遺族や乳がんではない人に向けて、乳がんモデルを触っていただきたいと考えていました。

 

この後、関わるみんなが間違いなくできるようにと、対がん協会の研修の機会を得て、ピンクリボンシートと言うものが出来ています。

 

と言うことで、乳がんモデルを使用した自己検診啓発の権利は多分、私にあるだろうと思います。

 

ピンクリボンシート

乳がんモデル

これを利用してリレーフォーライフにおける、乳がんの早期発見早期治療に導く啓発の権利は、おそらく私にあると思っています。

日産スタジアムの小机フィールドにおいて、初めて使用いたしました。

 

リレーフォーライフにおける検診促進のあり方は、それまでピンクリボンに関わってきた私だったからこそ、そこに思い至ることができたのだろうと思います。(福田護医師という主治医の存在が大きかったのだろうと思います)

マンモやエコーなど、医療機器が設備としてあまりないようなところでも、自分の胸を自分でチェックすると言う一番分かりやすくて安いことは世界中の女性(男性もありますね)に通じることのように思います。

 

 

そのように役立ってくれると大変うれしく思います。

 

リレーフォーライフの趣旨はがんを制圧するための薬の開発のための寄付金集めなんですよね。。。

ある外科医が24時間フィールドを走り続けて、がんの患者さんのことを実感しようとしたのかしら?がんは24時間眠らない?と言うことを体現した?そして寄付金を募ることにした、と聞いています。

日本ではその集められたお金は別の用途になっているようですね。医師の研究費とかになっているようです。

 

リレーフォーライフを日本に導入しようとした頃

三浦秀昭氏と一緒に動いていましたが(彼に誘われて)、彼の中に死に対してのあこがれ?のようなものがあったような気がしています。(がんの持っている特徴?希死念慮?とか言うようなものですよね?私はそれが不思議でならなかったんですよ)

がんになれば、誰もが仕方なく自分の人生の終わりを受け入れなくてはならない?というような悲壮感があったと感じています。

私も早く見つかったほうではなかったと思っていますが、死と言うものを簡単に受け入れるつもりはなかったように思います。

(十分、覚悟はしていたのですが。。。)

彼の中にそれを見出したので、みんながそのような心を持つことに対してはヤバいかもと感じていました。

リレーフォーライフは、そのような側面がありますよね。。。?

だから、思いっきりそれを引っ張るものとしてピンクリボンを入れたような気がしています。

意識づけ?のようなものです。

思い出に浸ることは、それはそれで大切かと思いますが、もっと力強く前に生きて行こうとするような力です。

それがピンクリボンしか思いつかなかったような気がしています。

リレーフォーライフの心情に合っていなかった?

私にしてみれば、十分合っていたと思っていますよ。

彼は心の病気だったと言うことでしょう??(後にがん相談についての東京都の話し合いの席で彼本人が始めから鬱病の薬を飲んでいたとみんなの前でお話しています。東京都庁の会議室でのお話です。この後、私は理事を降りて一般相談員となりました。)

 

がんと言う病気は大きな矛盾を含んでいますよね?

あれから数年の時間を経ています。

自分の身体の中から出来て、自分を死に追いやる。。。それを理解する戦いだったように感じています。

今?多分同居しているんだろうな。。。と思っています。。そう思うしかない。。。??

これからも、その病気を解く時間なのかもしれませんね。。。

 

日本のリレーフォーライフは患者である三浦秀昭氏によって実行に移すように働いた結果のように思っています。

(実行に移すまでは対がん協会との綱引きがあったと思っています。何故って、目の前で見ていましたから。何度も対がん協会に通っています)

彼本人ががん患者プロジェクト?とかと言う団体を作っていました。私も後から会員になっています。

その中でグループのリーダーとして先頭に立つ人が死ぬことに対してロマン?のようなものを抱えていたら、どうなると思いますか?

一緒にいた私としては、その行く末にとても不安なものを感じていました。

その頃、感じていたのは、大きな集団がみんなで死に急ぐ?ように目の前に大きな海があるのに、そこに飛び込んで行くようなものを感じたんですよ。その先にある大陸を目指すとかではありません。

だから、それを止めるような力、私にとっては、それがピンクリボンだったのですが、それを実行に移したように思っています。

少しでも違う意識があれば、がんを考える上で変わってくるように思います。

 

山下さんとは一緒にやる時、始めから彼女は健康な人です。

明らかに私よりも長く生きるだろうと思っていました。

もっとも、それが臓器移植や臓器提供に関係してくるとは夢にも思っていなかったです。

ショックなんて言うものではなかったですよ。。。もしも、それががん患者の臓器提供に変わったとしたら?

考えるだけでも、ぞっとします。

私は自分の臓器を提供するためにボランティアをしたことになる?そんな。。。あほな。。。と思いました。

山下さんは、よくやったと思います。

何故か?その先、ぐれちゃったように感じましたが。

彼女の背後にある力が動いたんでしょ?

もとの彼女に戻るといいと思っています。。。

 

 

過去に人工透析患者の病気腎の移植などが問題になったことがありましたが、これは修復腎の移植として先進医療として閣議決定されたようですが、

実際はまだまだ、問題山積のような感じですね。。。

関係する患者や医師など、提供する側、提供される側、その安全性などが安定していない状態のようです。

問題は時間経過と共に政治としても変化するもののようで、気になる方はその都度、お調べして臨むのが妥当のように思います。

 

腎臓機能の低下の予防については、カッピングが有効のように思うのですが、それについては厚生労働省にそのような治験をしてほしいと、パブリックコメントを出しています。

 

 

 

 

こちらに書いたことは、私の個人的体験に基づいて書かれてあります。

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文責:古山惠子