2017年10月16日(月) ピンクリボン

ピンクリボンについて

 

いろいろなことを生きている間に解決したいと思っています。

何でこうなっちゃったかな~。。。と思うところを書いてみようと思います。

 

始めにM子さん事件

彼女は自分のお子さんの出産の際にお世話になった産婦人科の先生に始めの検診を依頼しています。

エコーで診てもらったものの、大丈夫との判定をもらっていると聞いています。(この時、結構大きかった?)

エコーは子宮を診るものだったと聞いています。

M子さんの乳がんは大きくなってからわかったのですよね~。。。?

それに腹を立てた?

転移状態だったでしょ?進行がん?

精神的にも大変な状態だったと思います。

医療ミスと言うことで訴えようとしていた?それをTeddyで取り上げて欲しかったように感じています。

オフ会でもTeddy関係の先生に相談したかった?でも誰も相手にしなかった?

というよりは、先生方もどうしていいかわからない状態というのが正しいと思います。

 

それをお節介おばさんのUさんが取り上げた?

相談を受けた彼女自身どうしていいかわからない状態だったのだと思います。

そこで同報メールで相談が来た。

あきさん、まゆりん(M子さんと主治医が一緒)、彼女、私

その4人が集められた。

いろいろやりとりがあって私が川崎市で過去に受けた検診内容をメールしたんだけど

これが外に持ち出された?

乳がんモデルについてのメールだったのですが、結果的には私はこれで早く気がついたのだと思っています。

もっとも、腫瘍サイズは小さかったものの結構浸潤していました。

私はメールを送ってから、急いでそのメールは外に出さないで欲しいというメールを打ったと思います。

(メールは細かい所まで表現しないときちんと伝わらないところがあるでしょ?)

彼女はそういうことを聞くような人ではなかったと思います。(精神的には再発状態で大変な所だったと思います。追い詰められていた感じ?)

彼女はそれを朝日新聞に持ち込んだ?でしょ?

それから、朝日新聞の一大キャンペーンが始まったでしょ?

私はその後の保健所の検診について影響を与えてしまうように思ったので、自分の主治医にそのように伝えようとしたのですが

主治医が拒否したと思います。

 

主治医はマンモによる早期発見早期治療を張るキャンペーンを訴えている最中だったと思います。乳がんモデルなんか関係ないと言ったところだったと思います。

その後はピンクリボンキャンペーンが朝日主催でもやるようになったでしょ?

六本木ウォークがそれですね。

何故、それが言えるか?って

その際の関係者の処分内容がそれを証明していると思います。

朝日新聞で、お一人解雇されているでしょ?朝日新聞関係者の重要な方と聞いています。

私の主治医が六本木のビルの中の診療所に入ったでしょ?

乳房健ではピンクリボンウォークをやろうとしていたでしょ?

それの主催者が変わったのだと思います。

 

その後、M子さんは厚生労働省にも乗り込んだでしょ?

結果的にどうなったのかしら?あの頃、乳がんは看板が出せない状態だったと思います。

診療科としての地位がなかったでしょ?

守備範囲が明確ではなかったということも影響していると思います。

外科? 婦人科(産婦人科)?たまに内科?

法律的には、どちらでも受けてもいいような状態だったと理解しています。

だから混乱が起きたのでしょう?

しばらくしてから、乳腺外科の標榜(看板が出せる科になった)ができるようになったでしょ?

 

だから、その後、いろいろなものが変わったでしょ?

私は長い間、乳がんモデルがなくなったことに対して深い後悔の念がありました。

自己検診の習慣化は、その頃、まだまだ確立にはほど遠く、それまでに出会った患者さんは乳がんと言うものがわかっていたら、

もっと早い受診行動ができるのではないかと思うに至っていました。

だから乳がんモデルを使用した検診推奨だったのですよ。

そのことをYさんにお話したことがあります。

それが乳がんモデルを使ったピンクリボンに発展したと思っています。

 

同じ産婦人科の先生にかかっていながら

M子さんと私の違いは何だったかというと、私は乳がんモデル体験があったことがとても大きかったのではないかと思うに至りました。

 

その後の沖縄?

ある日、Yさんから乳がんモデルを使ったピンクリボンをやろうとお話が来ました。

当時の民主党での忘年会の席で、彼女(彼女はマジシャンなので)は福祉祭りで乳がんモデルを使用した啓発をしたいと申し出たというようなことでした。

だから、二人でやることになったのです。

 

私は保健所での乳がんモデルを経験していますが

彼女は経験がなかったのだと思います。

どういうわけか、私達のイベントは保健師(沖縄)につながっていきました。(私の中で長い間の疑問でした)

保健所での検診は各医療機関に働きかけて医師の助けを借りて行われていたと思います。

保健師がやっていたとは思っていません。

診察(検診?)行為が加わるので保健師にはその資格はないんじゃないかと思います。

(乳がんについての知識はあっても診療行為(検診?)には至らないんではないかと思うのですが。。。?)

しこりが見つかった人は病院へ行くように言われたでしょ?(入院中にそのような方がいました)

それが沖縄に繋がったように思います。

 

保健師の件:無理矢理どうしても保健師につなげないことには沖縄に繋がらないというのが本当だと思います。

当時の関係者のやりとりを思い出してみると、どこで沖縄が関係したのかがよくわからなかったのですが、かなり以前から計画されていたように思います。

民主党に持ち込む前からかもしれません。

何も民主党に持ち込まなくても福祉祭りのイベント参加は出来たのではないかと思いますから。

その後、政権交代が出来たでしょ?

(最近の自民党はどこか間違えているように思えて仕方ありません。何故きちんとした釈明会見(もりかけについて)を行わなかったのでしょうね。。。?ばれちゃったからでしょ???)

 

この時、ピンクリボンに、ほかのこと(臓器移植)がついていたとは夢にも思いませんでした

 

 

実際に乳がんモデル体験を始めたものの、いろいろなことが起きました。

それを解決するために、ピンクリボンシートを開発したりしてきたのだと思っています。

 

その後のピンクリボンアドバイザーですね。。。

マンモの長所(しこりがなくてもわかる)

超音波(高密度乳房?)の必要性

被爆の危険度?(マンモによる)

結局、乳がんモデルの果たす役割が重要になってきた?

私はあの時、あきらめていなくてよかった、と思いました。

沖縄

韓国

臓器移植&臓器提供

と、いろいろオマケがつきましたが。。。

 そういう意味ではYさんに対して御礼を言わなくてはならないと思っています。どうもありがとうございました。

それで、この後はきちんと修正してください。

沖縄はその後の展開を見ていると、ピンクリボンと沖縄が繋がったことはわかりましたが、最初のやり方は沖縄県民の総意とは言い難いもののように感じています。

韓国についても、政権交代が起きて朴槿恵さんの今の状態を見ているに、気の毒な状態だと思います。

彼女自身がだまされたのではないかと感じているので。

どこまでの関与が誰がこのようにしたのかがもう一つわかりません。見えてきません。

どこから探っていけばいいのかわかりません。。。

 

何故、君はそこまでやるのか?

朴槿恵さんが気の毒なこともそうですが

私の果たした役割をきちんと把握したいと思うからです。

こういうことが平気でやれる、という世界は異常だと思うからです。移譲ではありません。

ピンクリボンアドバイザーは上級編はおかしいと思うからです。

初級、中級はぜひ皆さんに勉強用にとって欲しいと思っています。

 

 

 

 

こちらに書いたことは、私の個人的体験に基づいて書かれてあります。

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文責:古山惠子