がん患者団体支援機構 橋本さん 他 2019/01/18

 

がん患者団体支援機構で出会った橋本さんですが、彼の影響は大きいと感じています。

 

理事として初めてお会いしたのですが、下のお名前をすっかり忘れてしまったので、検索いたしました。

 

そうすると、懐かしいお顔がヒットいたしました。

 

お互いが、がん患者団体支援機構を辞めてしまったので、すっかり忘れていました。

 

調べてみて改めてすごい方だったんだなあ~。。。と思いました。

 

 

 

がんサポートの対談記事がヒット致しました。20041月。

 

俵さんとの対談記事でした。

 

この頃、この方は「癌と共に生きる会」の会長でした。

 

新山義昭さんが亡くなられたので急遽会長を引き受けたとあります。

 

新山さんのことはTeddyにいたとき、ネットで知ったと思います。

 

海外の薬を早く承認して欲しいとか言ってた方のように記憶しています。

 

私と反対のお名前なのでとてもよく記憶しています。

 

(因みに息子が小学生だった頃、応援団でお世話になった先生が新山先生ですね。。。?娘と息子は10才の差があります。小学校6年生だと娘は1才くらい?)

 

私は、その頃そうなんだ。。。と言うくらいの認識しかありませんでした。国民皆保険制度との兼ね合いがあるとか知ったのは、その後、しばらくしてからです。

 

結局、承認すれば全てが日本では国民皆保険制度に直結してくることなので、慎重にならざるを得ないということがあるように思います。国家財政に影響するということですね。。。(日本では車に変わるものが薬なのかもしれない、と思いました。今は状況は違うだろうと思います。。。例としてお伝え致しました。)

 

 

 

この橋本さんは1938年生まれだそうなので、結構なお年になられましたね。

 

1990年に肝臓がんがわかっています。部分摘出。(本人には知らされていない)

 

1997年に肋骨の間、胸壁に転移。手術。

 

1999年に定年退職後、肺への多発転移。(余生を考えるようにと言われている。この時初めて癌であることを知る)

 

平岩先生の本に出会う。直接、平岩先生に相談に行くが断られている。国立がん研究センターを勧められる。

 

 

 

私が知っているのはこの後だと思います。

 

国立がんセンターの治験を受けられたと思います。

 

結局、そこでももう治療はない、と言われたとのことでした。

 

この後がこの方のすごいことだと思いました。

 

関西の方なので、そちらでもう治療がないとか言われて、国立がんセンターに来て治験を受けられてもう治療がないと言われているんですね。

 

また、平岩先生に相談に行かれたんだと思います。

 

結局、別の病院で摘出手術をうけていますね。

 

何故手術をしたの?と聞きましたら、彼が言うには、他に転移がなかったから、だそうです。

 

国立がんセンターで断られた患者を引き受けた医師たちも相当なものですね。。。

 

3カ所以外にがんがなければ手術をしてみましょう。もし、ほかにも転移しているようであれば、その時点で手術は中止。と言われているようですね。。。それでもよいという確約状を書いて手術を受けているようです。

 

1年後に再発。胸腔鏡で手術を受けていますね。

 

その後、自分のリンパ球を培養して戻す「養子免疫療法」を受けているようです。

 

(治療に関しては調べるとそれなりにヒットします。気になる方はもっとお調べして下さい)

 

 

 

 

 

その後がもっとすごい!

 

橋本さんはその後、国立がんセンターに出向いています。

 

どうしていったの?

 

と聞きましたら、生きていることを知らせたかったからだそうで。。。診察をした国立がんセンターの医師は珍しいケースなので診せて欲しいと言われたそうです。

 

患者が患者なら医師も医師ですね。

 

結局、東京に来るときは、手術をした病院と国立がんセンターの両方を受診するとのことです。私が時々お話を聞いていました。

 

その後、お会いしていないのでよくわかりません。

 

お元気でしょうか?

 

 

 

このことを聞いていたので

 

私が再発をしたときは、抗がん剤で行くのかと思いましたが手術も有りだな。。。と思いました。

 

何からやるんですか?と主治医に聞きましたら、ホルモン陽性だったのでホルモンから行くと言っていました。

 

ホルモン陽性には少し疑問があったんですよね。(初発の病理はエストロゲンマイナスだったのですが、牛肉と大豆製品を食べると何かが動く感じがしたんです)

 

手術を希望したら快諾されたのでリンパ節摘出となりました。

 

手術を選択したことが、初発の時の病理と全然違うことがわかり、分子標的薬の選択も入って来たと思っています。

 

もちろん、ホルモン剤の治療も入りました。

 

 

 

私は薬を否定するつもりはありません。

 

橋本さんは、国立がんセンターでの治療で肺に2030個ぐらいあったのが、三つに減ったとあります。

 

それが大きくなってこれ以上強い薬は使えないと断られているようです。

 

私も初めの抗がん剤で白血球500になりましたが、胸のしこり(良性)は、無くなりましたから。すごい威力だと思いました。

 

術前治療ではなかったので、腫瘍についてはそれ以上はわかりません。

 

皮膚表面にあったイボのようなものもきれいに無くなりました。

 

その後の経口抗がん剤が私には合ってたように思います。

 

 

 

患者さんで自分の身体の中のがんが分かるか?と聞いたことがあります。

 

三浦さんは、わかるよ、と当然のように言っていました。

 

だから。。。それを観察してよ。。。と私は言いたくなるのですよ。

 

何をしたら暴れるのか?

 

何をしたら機嫌良くなるのか?

 

と言うような感じですね。。。ぼーっとしない。

 

それでも、付き合えない状況はあると思いますけど。

 

逃れられない状況はあるだろうなあ~。。。

 

 

 

 

 

 当時のがんサポートを続きを読んで見ました。

 

俵さん:

 

「日本人の心の底には、医者に逆らったら損をするとか、ゴマをすらないといけないといった意識が今でもすごくあるのね。

 

患者会の人はよく「医師と患者は対等だ」とおっしゃいますが、現実にはちっとも対等じゃない状態がまん延していて、そのことが患者会や医師をゆがめている。

 

 

 

けれども、医師と患者は平等であるというこの一番当たり前のことを原点にしないと、患者会は健全に育たないんですね。」

 

 

 

と、言っています。そのものずばり言い当てていると感じました。

 

それなのに。。。それなのに。。。1・2の3の会は何故あんなに医師を立てるんだ???と感じました。

 

言いなりになっているとしか思えない。

 

賃金が発生したからでしょうか?東京都から頂いているのに?

 

患者のためにやっているのにね~。。。医師のためじゃないよ。

 

ちょっと吠えてみました!!

 

2004年当時のものなのに。

 

今の状況が分かりません。

 

どうかその精神を引き継いで頂きたいと思っております。

 

警察に頼りすぎたとか言わないでね~。。。

 

橋本さんへ:もしもこれをお読みになって、違うところ?とか、気になったところがありましたらご連絡ください。

このころ、いろいろお調べしてみたのですが、ご本人と連絡が取れなくていました。雑誌の記事の引用が多いので失礼にあたらないだろうと思って書いてそのままになっています。

maria.nk@hotmail.co.jp

08065347090

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらに書いたことは、私の個人的体験に基づいて書かれてあります。

 

著者に許可なくこちらの文章をインターネットその他に転記・転載することは禁止します。

 

文責:古山惠子