始めにあったこと 2018/05/02

がんのことをやるようになって、始めにあったことについて書こうと思います。

何も初めから「がん相談」があったわけではありません。

 

がんの総合センター構想のようなものが始めにあったと思います。

それについては、読売新聞の渡辺さんが資金を出すというのが始めにあったことのように聞いています。

私がそれを知るようになったのは、かなり後です。

 

2000年5月に自分ががんとわかって、2001年の始めにTeddyというメーリングリストに入りました。

乳がん患者さん達のメーリングリストでその中には医師や看護師も入っていました。

医師による乳がんについての情報がたくさん提供されていたように思います。

メーリングリスト上で治療についての相談とか、励ましのようなメールが行き交っていました。

2001年12月に病院の中にマリア・ビバーチェの基になる乳がん患者会を作りました。

マリア・ビバーチェと言う名前が決まったのは、2002年7月の会です。

 

その後、Teddyの中から有志が集まってVOLーnetと言うネット団体が出来ました。私も初めからのメンバーです。

ここから「がん対策基本法」に結びつく活動を行っていったと思います。

国会議員の皆さんにロビー活動のような働きかけをしていきました。

何はともあれ、がん対策基本法が出来ました。

 

この中で「かながわフォーラム」に参加しています。

理事になる前です。

この中のメールのやり取りでがん相談者としてがん患者について通訳のようなことをやりたいと言ったと思います。

がん相談者としての具体的な一歩だったと思います。

 

「がん患者大集会」の話が舞い込みました。

第2回を渋谷のNHKホールで開催致しました。この時、私は実行委員でした。

その頃、がん患者団体支援機構がNPO申請している途中でしたが、その後VOL-netを辞めてがん患者団体支援機構の理事となりました。

 

多分、全てが同時進行だったと思うのですが

その中でがん総合センター構想のお話をお聞きしたように思います。

大きなビルでも建つのかと思っていたのですが(そのイラストも見たような気がしています。6~7階建てのようなそこには有りとあらゆる治療がある)。。。そうではなく、始めに着手したのは国立がんセンター内に位置する「がん情報サービス」(ネット情報)についての会議に出ています。

ああでもない、こうでもない。。。と言うような話会いに参加しています。

その途中で読売の渡辺さんがそれについてスポンサーとなるというようなお話を聞いたように思います。

 

実際にはその後、私は東京都の相談事業を始めることになったのですが

その前段階として、がん患者団体支援機構の事務局としてがん相談のまねごとのようなことをしています。

 

実際に相談事業をやっていくとありとあらゆる内容が流れてきました。

何でもありでした。

その全てに対処していくことになりました。

行政サービスから、心理的な悩みから、治療のことなど、訴訟問題など全てです。

その中である病院のあり方が出て来たんだろうな~。。。と感じています。

やっていく過程の中で出るべくして出てきた問題だったように感じています。

 

その後、一時がん患者団体支援機構から他の団体にその東京都の事業が移ったことがあります。

結局、また戻ったのですが医療者側から見たそのがん相談はきっと頼りないものに見えたのでしょうか?

 

がんとは何か?と考えた場合

「標準治療」という考え方がその中に占める割合が大きいことに気づかされます。

 

始めにあった「がんの総合センター」を考えると

標準治療で絶対治癒に至るわけではないと思うので

大変な状況から生き延びた方の情報や標準治療でないところから生き延びた人、寿命を延ばした人の情報が検索できるものを目指したら

未来に生きる人々に役に立つのではないかと思っています。(がん登録の発展系のようなもの)

それは早期発見早期治療も含めて人々に考える機会を与えるもののように思います。

いろいろな立場の人を見捨てないために。。。

 

 

がんビジネスと言う言葉があります。

人を脅かして経済を動かそうという考え方のように思いますが(恐怖で人を支配する)

それにあまりとらわれないようなもっと人間的な経済のあり方を目指すものであってほしいと思っています。

患者は職業ではない。医療者は職業ですね。。。

そのギャップを埋めるものであってほしいと思っています。

 

「がん登録」についても考える機会を頂きましたが、

医療者側のデータだけでは、同じような症例の人を比べたとしても

何故、片方が生きて、もう一方の方が亡くなるのかが見えてこないんですよね。。。?

ただの謎のまま終わってしまうのではないかと思います。がんとはそういうものだ、みたいな。

それが患者会に関わるようになって、患者側の情報が見えてきて疑問が氷解したりするんですよね。。。たぶん、これじゃないかと思う事象に出会います。(それがはっきりしないから困ることでもあったりします。。。^^;)

一つひとつ解きほぐして行くことががんという病気を理解して、がんを克服することにつながるように思います。

そして長期生存に導くことにつながるのかな?と思います。

個別なことなのでとても難しい作業のように思います。

それでも共通することは出てくるでしょ?

トランス脂肪酸、お肉の問題とかね?

修正できることはするべきでしょ?

精神的な悩みもそうです。。。それで行政として対処できると半減するかな。。。と思いました。

 

最近、突然死が多いような気がしてなりません。

どうなっているんでしょうね。。。?

どういうシステムになっているのかな~。。。?

考えすぎですか?

誰かが選択しているんですか?まさかね~。。。?

その当事者が亡くなるときは誰が選択するんでしょ???なんてね。。。自分で自分のボタンを押すんですかね?

恐ろしや~。。。

これって核のボタンのようですね。。。?個人向け?

 

がんと言う病気を考えた場合

宗教は外せないもののように思います。生活心情や価値観が大きく関わります。

そうでなくても、例えばトランス脂肪酸などは東洋医学であっても情報は必要でしょ?

食べ物の基本を成すものについては、西洋医学、東洋医学、区別するものではないと思います。

私もまだまだ整理が必要です。

私の身体に危害を加えないでください。

昨日は皮膚表面がかゆくてたまりませんでした。どうしましょ???

あのかっこいい受刑者が広島で捕まったというニュースのせいかな~。。。

だから。。。と言っては何ですが(理由がどうやってつながるのは自分でもよくわかりませんが)

お昼は焼きそばにニンニクを入れて食べました。これでいいですか?

ニンニクはがん患者にとって一番上にくる食べ物だそうです。これは本当。

 

 

そういえば。。。東大医療政策も関係するのでしょうか?

読売は私の手術前夜のヌード写真がとても気に入っちゃったんでしょ?ん~~~困っちゃうな~。。。

それでも私は生きているわけでして。。。

ピンクリボンについてここまで進むと生きることが出来ません。。。という理由が成り立ちませぬ。

先に亡くなってしまった人と取り替えないでくださいませ。

偶然が織りなす治療が私を生かしてくれたんだと思っています。

 

 

 

 

 

こちらに書いたことは、私の個人的体験に基づいて書かれてあります。

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文責:古山惠子