未来の治療 2019/5/7

結局、よくよくやってきてみたら、すべては私の手術前夜の写真が原因?だったのでしょうか?

あれの取り合いでしかなかったように思います。

それだけ、重要なものだったのでしょうか?

患者と医師では同じものを見たとしても、考えることが違うと言うことなのでしょうね。。。?

 

私は手術が終わって、身体もそれなりに回復して、そういえば写真があったなあ。。。と思って、あ~あ。。。もうこの身体には戻れないんだな~。。。と思って、まじまじと見てみました。

主治医の始めの説明「君のがんは、初めはホルモンを食べていたんだけど、それから自立しようとしたがんだ」と言うことを思い出しました。

まさにその通りじゃん。。。と思いました。

先生はその時は、私の写真など見ていたわけではないので、主治医が直接、病理に出向いてみてきた結果を説明してくれたんだと思いますが、そういうことだったのだと思います。

病理とはそこまで見ることができる、と言うことなんですね。。。?

私にとってはその方が驚きでした。

 

腫瘍があったところから、血管が伸びていたんですよ。ずーっと上まで。

どこに繋がっていたのか、もちろん栄養をとるために血管につながっていたのだと思いますが、どこなんですか?

正確には私にはよくわかりません。今、手元にないし。

腫瘍があったところは、もちろん私自身のからだなのでよく知っていました。

がんは意外と利口なのだと思いました。それを知ると愛おしくさえ思います。

 

私のがん治療は、化学療法がうまく行かなかったこともあり、その後、いろいろな変遷を経ていきます。

再発も経験しました。

分子標的薬ハーセプチンのお世話にもなりました。

こうして、がん治療は進化していくのだなあ~。。。と思っています。

 

私は院内患者会を始めましたが、そこでいろいろなことを知りました。

乳がんの遺伝子についても、かなり初期の頃、学んでいます。

それが遺伝子について深く知る機会となったように思います。

がんの遺伝子と一般に言う遺伝子(顔や身体が似ること)との違いにも知ることとなったように思います。

 

16年ぶりに主治医の勉強会をしました。

薬が細分化されて発達してきていることを知る機会となりました。

今後、これからの未来はがん細胞を変化させることになるだろうと言うことでした。

がんが自ら治るように働きかける薬?のことかと思いました。それができる時代になってきていると言うことのように思います。

私のがん細胞は、当初、ホルモンマイナスの状態でした。

私と主治医のやりとりにより、偶然処方された薬により、ホルモンプラスに変換されました。

偶然ではないのだと思います。主治医の頭の中で何かが動く気配がしたように思うので。

そのようにして、私の当初のがん細胞は治療ができる身体に変化しました。

 

もちろん、右的要素(カッピング:血液状態)も影響しているかと思っています。

それがどの程度なのかが分らないので未だに謎のままです。

カッピングを使った当初は跡がくっきりとついたのですが、今はほとんどつかなくなりました。

(川の流れをきれいにする、それと同じように身体の血液の流れをきれいにするといろいろな汚れ?が滞らなくなり、がんも出来にくい?と言うような理論が本当にそうだと言えるのかどうか。。。)

 

両方の効果があってこうして今生存しているのだろうな。。。と思います。

 

遺伝性乳がんと聞くと、抵抗などできないのではないかと思う方もいらっしゃるかと思います。

現実に遺伝性乳がんと言う方もいらっしゃいます。

治療は何も変わらないように思います。

そうやって生きていく。。。自分の寿命が尽きるまで。

どうか、遺伝性と聞いたとしてもきちんと調べて自分の身体と向き合ってくださるようにしてほしいと思っています。

そのうち、治るようになるよ。。。その未来が近いか遠いかは、わかりませんが。

 

 

人間一人の身体は、一人のものでしかない。

医療は高度に細分化されています。

患者が一つにまとめるしかない?

まとめるとかの問題ではないですね。元々一つに繋がっているんですから。

主治医(外科医)が病理まで見に行ったことが私の病気についてはプラスに働いたように思います。

写真が証明してくれたし、その主治医の処方も効いた、と言うことなのでしょうね。。。それがその後の私に影響したと言うことなのだと思います。

 

難しかった。。。です。環境が。

まったくもう~。。。

 

 

 

 

こちらに書いたことは、私の個人的体験に基づいて書かれてあります。

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文責:古山惠子