セカンドオピニオン(私の場合) 2018/08/29

今までいろいろと書いてきましたが、私の場合のセカンドオピニオンについて書いてみたいと思います。

2000年5月に初めて診察を受けました。1ヶ月くらいで検査を経てその時の私のがんの状態がわかりました。

主治医よりセカンドオピニオンは受けてくださいと言うようなお話があり、いろいろな状況がわからなかった私はその言葉通りにセカンドオピニオンなるものを受けました。

術式が決まる前のことです。

この頃、既に化学療法による術前治療があることの説明は受けていたと思います。

化学療法のこともよくわからなかった私は、何だか知らないが他の先生のお話を聞いた方がいいんだろうと思いました。

それでどうしたらいいのか。。。と思って聞きに行きました。もちろん、主人も一緒です。

その時に術後の写真なども見せていただいてこのようになりますよ。。。と、言われました。

その頃の主流は、まだまだ全摘だったように思います。

内心、私も仕方ないんだろうな。。。と思った記憶があります。

病院についても、乳がんは長い間病院にお世話にならなければならないので、近い場所がいいでしょう。。。と言うことで、今の主治医にお世話になろうと思いました。

 

手術についてはとても納得した気持ちで受けたように思います。その時はね。。。(^^;

その後の化学療法がうまく行かなかったので、前回セカンドオピニオンを受けた先生のところに相談に行きました。主人も一緒です。

私自身、何が起きているのかよくわからなかった状態だったと思います。

この時の先生は、今から思うとかなり正確に私の身体を理解したんだろうな。。。と思います。

骨髄移植?をして無菌室に入って化学療法を受けるやり方があることを教えていただきました。

この骨髄移植のやり方は今までいろいろと調べたりしてきましたが、アメリカの方がそのようなやり方で化学療法を受けたと言うようなお話を聞いたことがあります。

もちろん、私はこの時は全く知りませんでした。

私にしてみれば、そこまでして化学療法を受けなくてはいけないと言うような理由が見つかりませんでした。

 

白血球500になって、ある程度体力が回復してからの行動だったのではないかと思います。

何もしなければからだは元気になる。。。化学療法を受けると病人になる。。。この矛盾に行き着いた感じだったと思います。

ここで近藤先生の本も手に取ったと思います。

ものすごい混乱の中にいる感じだったと思います。

骨髄移植のやり方はするつもりはないが、化学療法をもう一度やってみようと結論づけたように思います。

 

結果的に経口抗がん剤が私を救ってくれたように感じています。

私は私の身体が反応する方向へ決断したように思います。説明よりも自分のからだに聞いたという感じでしょうか。。。?

 

そのセカンドオピニオンの先生は確か慶応大学と聞いた気がしています。

慶応の先生もいろいろいらっしゃいますね。。。

何故、今まで言わなかったか?

その先生が用意したお礼も何も受け取ってくれなかったし、内緒にして欲しいというようなことだったから。

半分は何か事故でもあったかな???と思ったのかもしれません。

医療の世界は難しいなあ~。。。と思った出来事です。

その頃はセカンドオピニオンと言っても、普段の診察行為の延長だったように思います。

今ほど看板にだすと言うことでもなかったように思います。

もっとも、日本人には診察行為の延長のほうが合っているようにも思います。

ちゃんとしたセカンドオピニオンで高額のものを出さなくてはいけないようでは、こちらもかなりの知識を持たないと時間が無駄になるようにも思います。

セカンドオピニオンを受けようと思ったら、何に対して自分が疑問に思っているかをきちんと考えてから臨むべきでしょうね。

じゃないといつまで経っても疑問は解決しません。

しかも、それなりの知識を持って臨まないと正論だけで終わってしまうのではないかと思います。

ネッ?

 

 

 

こちらに書いたことは、私の個人的体験に基づいて書かれてあります。

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文責:古山惠子