2017年9月29日

昨日、せっかく書いたのに肝心なことが全部消されてしまいました。

もう一度気を取り直して書いてみようと思います。

 

何故って、それがその後の癌に対する疑問や患者会の礎となったような気がしています。

 

2000年6月26日

右乳房全摘出術を受けました。

先の病理に従い、CEFを提示されました。本当はCMFでもよかったんだけどね~。。。

それじゃ、だめだって言うんですよ。主治医が。

1クール2回のところ、1回点滴して退院いたしました。47才の誕生日は病院で迎えました。その後、抗がん剤治療。

癌患者さんって結構ご自分の誕生日が過渡期に当たるのか、大切な日に当たるような気がします。

 

その後、1クールの2回目を通院で受けました。

その頃、入院中で仲良くなった患者友達と電話で連絡を取り合っていました。(患者会へと発展したと思います)

自分の様子が変だと言うことに気がついて救急を利用しました。白血球500、そのまま、緊急入院となりました。

退院するときに、もう二度と来ないと思いました。そう言った気がします。

それから、本を読みあさりました。

初めに手に取ったのが、近藤先生の本です。抗がん剤否定派ですね。。。

これじゃ、いけないと思って、平岩先生の本を手に取りました。当時、抗がん剤推進派?とでもいうのでしょうか?

結局、両方を天秤にかけて、これは大変なことをしているかもしれない。。。と思って、すぐに病院に行きました。

もう来ない、と言ってから1ヶ月くらい経っていたと思います。

その日のうちにCEFを点滴いたしました。

それからなかなかうまく行かなかったんですよね。。。白血球800も経験いたしました。

周りの人たちはどんどん標準治療を卒業していきました。

私は。。。と言うと、いつのまにか再発患者の中にいました。遺書は書いたか?とかそういう話題の中にいました。

 

白血球500の退院する際に経口抗がん剤UFTEを渡されていました。

二度と来ない、と言いながらそれを飲んでいました。我ながらこの行動が意味不明。

からだが反応したことを記憶しています。

それを訴えたせいか、抗がん剤は止めましょう。。。となり、次に渡されたのがフルツロン(経口抗がん剤)でした。

1年間飲みました。

点滴を止めた後のがん細胞を鎮める役目をしてくれたように思います。

CEFを止めた後、患部が痛くて痛くてたまりませんでした。それがフルツロンを飲んだら痛みが治まっていくと実感いたしました。

他の人にはどうか知りませんが、私にはとても効いたと思います。

白血球は通常4~5000あるところを3000台をキープしていたと思います。

 

この経験が近藤先生は抗がん剤や経口抗がん剤を否定していたと思いますが、いろいろ考えることに繋がりました。

抗がん剤否定派の先生の果たす役割はいかほどだったのでしょうか?

でも、正直なところ、それを読んで精神的にはとても救われました。

逆に治療を持ち直すことにつながったと思います。反作用の役目をしたんだと思います。

その経験が後に東京都のがん相談を進めていく立場になった私自身を支えてくれたような気がしています。

がん患者は最終的には治療の選択が生き方の選択につながります。

どんなに正しい治療であったとしても、心が受け付けないものは結果的によくならないような気がします。

がんの不思議なところですね。。。

 

医師の無理矢理感がついてきますね。。。そうして医師と患者の果てしない闘いが続きます。。。

心を理解すると言うこと。

理解されたら、あの世に旅経つ時であったとしても、きっと満足するように思います。

例え悔し涙を流したとしても、理解してくれたらきっと満足するもののように思います。

患者さんたちに向き合ってそのように思います。

認めて貰えない患者ほど、かわいそうでなりません。。。

だから。。。抗がん剤で殺さないで!

 

 もっとも私は生きていますから。

 死ぬかと思いましたが。。。

 

 

こちらに書いたことは、私の個人的体験に基づいて書かれてあります。

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文責:古山惠子