PKR(ピンクリボンシート) 2018/05/22

ピンクリボンシートについて書こうと思います。

あれは、対がん協会での研修時のことです。

ピンクリボンを推し進めて行こうということで、対がん協会で研修が開かれてそれに参加したことがあります。

 

各チームに分かれて3組合同でした。

ピンクリボンをどうしたら効果的に進めて行くことができるのか?ということがテーマだったと思います。

私はその頃、マリア・ビバーチェもやっていて、がん患者団体支援機構にも所属していたと思います。

ピンクリボンについては、全く別行動を取っていました。

3組は千葉のねむの会、東京は乳房健康研究会、神奈川はピンクリボンの会「ソフィア」でした。

それぞれ2人づつの参加でした。

私にとってはベストタイミングな会だったと記憶しています。

ピンクリボンをやってはいたものの、ちょうどリレーフォーライフ所沢を終わった頃でした。

TEDDYの千葉のM子さん事件を引きずっていたように思いますが、3人でソフィアで活動していたものの、M子さんと同じような間違いが起こらないようにと考えなくてはいけないと感じていた頃です。

それの指針となるものの必要性を感じていました。

 

乳がんは以前は告知は男性にされていたそうです。

その方のご主人や父親や兄とかです。

女性には治療を選ぶ権利がなかった頃のお話です。

自分自身が乳がんになって、主治医となる先生の目の前にすわっていきなり乳がんにほぼ間違いないでしょう。。。と言われました。

初日です。

私は驚いてその日の検査が終わってから電話で主人に伝えました。

主人も慌ててその3日目ぐらいに二人で先生の前にすわって説明を聞きました。

私の夫は、その時、切ってください、と言ったんですよ。。。私は心の中で私の身体なのに。。。と思っていました。

先生は私に聞き直してくれたんでほっとしたことを記憶しています。

 

昔の女性は大変だったろうな。。。と思います。

治療を選ぶ権利がない?そういう時代があったんだろうな。。。と思います。

そういう背景があったのでこの研修の時は、そういう自分の思いを詰めたと思っています。

オーバー・ザ・ピンクリボン。チームの名前が決まりました。

出来るだけ簡単に自分で自分の身体をチェックすることが正確に伝わるようにとして作られたのがピンクリボンシートです。

(抜け落ちたところがありましたが。。。自分で付け足しました)

 

これを持って活動することになりました。

このシートを使った第1回目が新横浜でのリレーフォーライフ日産スタジアム小机フィールドです。

 

オーバーザピンクリボン。

ここの理解が私と山下で違ったと思います。

山下は千葉東京神奈川にかかる虹のようなものとなったみたいです。

彼女はそれまでミュージカルをやっていたので、そう言う発想につながったのかな?と思います。

しかも、彼女は職業を持った人です。私は専業主婦でした。今でもそうですが。

女性の精神的自立を目指したものだったのです。

経済的自立ももちろん大切ですが、私は専業主婦としての自分の生き方も非難されるものではないと思っています。

私は乳がんの向こう側を目指しましょう。。。というつもりでした。

乳がんを乗り越えていきましょう。。。のつもりだった。

世間はよくしてくれたもので、何故か正確に伝わったように感じています。(その先を超えて行く)

それはマリア・ビバーチェそのものに通じているんだと思っています。。。

病気をきちんと理解して自分の生きかたを考える。。。と言うことにつながるんだけどなあ~。。。今でもその精神は間違っていないと思っています。

 

関西での第1回大集会

私は参加していなかったので自宅でDVD?ビデオ?を見ました。

その中で佐藤さんが患者の自立?を訴えていました。

私がその前に神奈川で訴えた内容と同じでした。

佐藤さんは職業を持った人なのに。。。?とても違和感を持ったことを記憶しています。

職業を持った経済的自立をしている男性が自立を訴えていることが不思議でした。

専業主婦だったら成り立ちますけどね~。。。

 

男性も医師の前では自分の気持ちを伝えられないのかもしれませんね。。。それでそのような言葉になった?共感したのかもしれませんね?

 

 昨日(5月21日)はマリア・ビバーチェで元町・横浜散策と称して港の見える丘公園、イギリス館と行ってきました。

お花がたくさん咲いていました。

以前、山下とピンクリボンで行ったことを思い出しました。

空を見上げるとちょうど太陽に輪がかかったような状態でした。ハロ、というものだそうです。

山下さんにはとても感謝しています。。。ありがとうございました。(^^)

 

 

こちらに書いたことは、私の個人的体験に基づいて書かれてあります。

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文責:古山惠子